Der Glockenbaum

独逸在住日本人の日々想ふこと。

外国人として生きる、ということ

旅ブログとは別で今回新たにブログを新設するに至った経緯はさておき、こちらのブログでは日頃、思ふことや疑問、ドイツでの生活など特にジャンルを絞らずに書いていければと思います。

現在、欧州はドイツで生活するようになり久しいですが、こちらでの生活が長くなればなる程、日本社会と自分との間の溝がより深く、そして大きくなっている気がします。

日本では島国故の独自文化や独特な風習や習慣といったものが花開いてきました。例えば、島国という立地条件故の他人との距離のとり方や、上辺的な人間関係は他人と仲良くすることで自分の居場所を是が非でも確保しようとする人間の自衛本能が働いているように思います。同じことが欧州の中でも島国である英国にも言えると思います。勿論、日本とは文化圏も違えば国も違うので日本人と同じようにとは言いませんが、物事を湾曲して表現するところなどは個人的に日本人と似ていると思います。

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ほら…。
思ったことをストレートには言わず相手にその意味を汲ませる。周りを海に囲まれそれ以外に行き場のない島国の人独特の表現の様に思えます。

それに対してドイツは全くその正反対を行く国で、ストレートに物事を言うことが良しとされることが多々あります。特にドイツ人はディスカッション・ディベートが大好きで、来て数年の頃は私もドイツ人に混ざって熱く議論していましたが、ドイツ人のディスカッションは議論というよりも自己主張をしあっているだけだと気付きました。自分の意見の正当性を述べて、如何に相手に「君のその意見は一理あるね。」と言わせる。そのことに2時間も3時間も時間をかけることが甚だ馬鹿馬鹿しく思えてきたのです。ディスカッションとは相手も聞く耳を持って初めて成立しますが、ドイツ人の場合、そうではないことの方が多いのです。特に相手が外国人となると、人によっては初めから馬鹿にしてかかってくることも日常茶飯事です。今日はその「外国人」として生きるという事について書きたいと思います。

我々、日本人は日頃、自分が日本人だということをあまり意識せずに生活していると思います。勿論、「アジアという地域に日本という国があり…」と頭では理解していると思います。でも、自分が日本人だと強く意識しながら生活している人は少数派なのではないでしょうか。これはどこの国にも共通することだと思いますし、至って普通のことだと思います。しかし、そんな日本人が日本というある意味「守られた世界」を飛び出すと、たちまち外国人になるのです。当たり前のことかもしれませんが、それがどういうことかというと…箇条書きにします。

・ただそこに居るだけ、存在しているだけなのに許可(ビザ・滞在許可)が必要

・日本人よりもアジア人という括りで見られることの方が多い(中国、韓国、タイ、インド関係なし)

・外国人というだけで何事にもハンディキャップを抱える

・何年住んでいようが、外見上英語で話しかけられることがある(いくら現地語を流暢に話そうとも関係なし)

・外国人、人種的な差別を受けることがある

・住居をなかなか借りることができない

・言葉の壁(ネイティブでない以上、いくら勉強したところで完璧にはならない)

・いつまでたっても外国人という括りで見られ、それは一生変わることがない

・外国人というだけで初めから疑われる

・手続きや交渉の場に於いて初めからなめられる

・外国人というハンディキャップがある為、物事に対して慎重になる

等々。

これは外国人として生きる人が日常で感じることのごく一部です。これらの様なことを毎日どこかで経験していれば、性格も変わってくるものです。私の場合、元々ドイツ人の友人がいたためよく彼らとつるんで、彼らと同じようにしようと努力しました。しかし、どうしても疑問に思うことや抵抗がある部分が出てくるのです。先に述べたドイツ人の言うディスカッションもその一つです。それに加え、ドイツ人という国民が外国人に対してあまりオープンでないということもあり、新しく知り合った人とはなかなか人間関係が進展しないこともありました。これはドイツ人の性格がシャイな部分が大きと思いますが、それに関してはまた別な機会に触れたいと思います。

外国人として生きている以上、知らず知らずのうちに劣等感を抱くこともよくあります。特にドイツの様な自己主張の激しい国では自分の身は自分以外、誰も守ってはくれません。拠って常に気を張っていることも多々あります。このような生活をしていると、どうしても日本社会と自分との間に溝ができてしまうのです。こちらでは普通の感覚でも、日本で同じ振る舞いをしては何か怒っているように思われたり、直接的な表現方法に相手が威圧感を感じたり、逆に相手が湾曲的な表現で真意が全く理解できなかったり…。特に私は元々、日本独特の「空気を読む」と言った風潮に馬鹿馬鹿しさを感じていたので尚更かもしれません。ここまで感じるのはドイツ人の友人や会社関係の付き合いが多く、自分がドイツ社会に大きく足を踏み入れている証なのかもしれませんが、私は日本人ですしそのアイデンティティは以前よりも強く意識する様になったと思います。逆に、短期留学や一年程度の交換留学、駐在員などではこうしたことをここまで深く考えないのだと思います。彼らは何れ日本に帰りますし、それが確定している以上、現地語ができなかったり、現地の文化風習にそこまで造形が深くなくてもなんとかなるからかもしれません。それはそれで良い「異文化体験」ですし否定するつもりはありません。しかし、外国人としてその国に住むとなるとその「異文化」のはずのものが当たり前になってしまい、結果として日本社会との間に溝を感じるようになってしまうのです。外国人として生きている以上、致し方ないことなのかもしれませんが、その溝を如何に埋めていくかが今後の自分の生活に於いて大きな鍵を握りそうです。

これらのことを踏まえた上でも、外国人としてドイツで生活している方が今のところはメリットを感じています。だから、住んでいるわけです。ただ、外国に住んでいると日本に帰った際に違和感を覚えるほどの反響を受けます。「外国に住んでいるなんて羨ましい。」「ヨーロッパでの生活なんて素敵。」等々。これらの発言・反応には非常に違和感を覚えます。そういうことを言われると私は「じゃあ、住んでみてはいかがですか?」と言いたくなる。(たまに言ってしまう…。)これは、如何に外国に対する知識がないかをひけらかしているようなもので甚だ恥ずかしい発言だと思うのですが、平気でこの手の発言をする人がいるのには正直本当に違和感を覚えます。世は二十一世紀に入り久しい。これだけ国際化が進む中で、未だに日本では外国が遠い存在となっていることにどうしても違和感を覚えるとともに日本の将来に対する不安が払拭できないというのも事実。でもその不安も自分が日本人だからくるのであって、やはり自分のアイデンティティは日本なんだなと強く意識します。

今日のところはこの辺で。次回は全く別のテーマについてお話しようと思います。